断片的な走り書き7
知性に基づく認識の限界を知ることもまた、知性の仕事である。
あなたの意識状態のレベル、すなわち自己意識としてのあなたが住んでいる次元の違いによって、あなたが受け取る知識のレベルが変わってくる。
心と身体とあなた
あなたが幸せになりたいならば、心や身体と友好な関係を築かなくてはならない。
あなたが目覚めの邪魔をされたくないならば、心と身体を敵に回してはいけない。
溢(あふ)れんばかりの愛をもって接してあげなさい。
すると彼らは、あなたに協力してくれる。
魂としてのあなたに性別などはない。
私はいつも、そのような男や女である前の純粋なあなたに語りかけている。
『(意識としての)あなた』には、名前も形もない・・・
それを、どうやって他人と比較できるというのだろう?
『肉体/精神としてのあなた』、厳密に言うなら『自己意識としてのあなたの乗り物にしか過ぎない肉体/精神』と他人のそれとを比較しても虚(むな)しいだけだ。
あなたが肉体/精神と自己同一化することによって、純粋な魂としてのあなたを比較の対象に貶(おとし)めて苦しめて良いのだろうか?
全ての人に内在する『聖なる存在としてのあなた』を比較することなどできはしない。
神の意思とでも言うべき、神の描いたシナリオに逆らおうとするから苦しいのだ。
あなたがどれだけ抵抗したところで、神の描いたシナリオに逆らうことなどできはしないのに・・・
そのような無知に気づくことを成熟と言う。
無駄な抵抗は、おやめなさい。
それこそが苦しみの元なのだ。
夢を見続けていたい人は、夢を見続けていればいい。
さらに言うなら、そうするより他しかたない。
しかし、それでも方法はある。
夢は夢だと気づいていなさい。
想念混じりの泥水を飲むことに慣れてしまうと、人は本来の純粋な水の味というものを忘れてしまう。
明け渡し時においては、聖なるものへと明け渡すことによって、肉体と精神とを手放すのです。
思考や感情や感覚などといった、あらゆる気づきの対象物を手放すのです。
すると何が残る?
想念のない心、すなわわち純粋意識である聖なるものと自己意識そのものとしてのあなた・・・
それが一つに溶け合う時、真なる自己としてのあなたが完成する・・・
神様、そこに頑固な僕がいたから、あなたは入って来れなかったのですね。
あなた以外の色んなものにしがみついている僕の邪魔をしないようにと、あなたは無理に入って来るようなことはなさらなかったわけですね。
私が本気であなただけを必要とした時までは・・・
私は、あなたにとっての個人的な「問題」そのものを解決するための手助けはしない。
そんな対処療法的なことをしていても、キリがないからだ。
なので私は、その問題を解決しようと忙(せわ)しなくざわついている「あなた」の動きを、ただ静める。
するとその「問題」、あらゆる「問題」は、想念をもとにあなたが捏(こ)ね上げた幻想であったことを、あなたは直接的に理解する。
幻想であるという正体を見抜かれた「問題」は、干乾びた想念の抜け殻と化す。
そして、あなたはあらゆる「問題」から自由となる。
「私」は、あるゆる幻想の破壊神だ。
あなたが「私」に明け渡すなら・・・
真なる自己の目覚めの直接伝達により、肉体/精神との自己同一視を終焉させて、あなたは肉体/精神などではなく、その彼方に存在している安らかな魂であったことを悟らせる。
無知
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